勉強しなさい?

「勉強しなさい」って言うのやめたけど、やっぱりダメだった・・・

しょーちゃん

こんにちは! サラリーマン主夫のしょーちゃんです!

今回は完全に僕の考えや思いが入った記事です。

間違ったことを言っているかも知れないし、書いてあることの裏付けもとっていません。

ただ日本のどこかにいる親のうちの1人が、独り言を言っているだけだと思ってください。

現在進行形の悩みです。

参考までに見てください。

親の悩み?

うちの子が全然勉強しないんですよ…なんてよくある悩みだと思います。

うちもそうです(笑)

人間悩みがあったら、人によりその程度に差はあれど、きっと解決しようとするはずです。

なのに子供が動かない(少なくとも親からはそう見えない)のは、きっと子供自身の悩みや課題ではなく、きっと親の悩みなんだろうなぁと最近は考えています。

もしそうだとしたら、親の勝手な悩みの為に子供みずから動いてくれるはずありませんよね。

実際どうなんでしょうか・・・

勉強しなさいは逆効果?

勉強しなさいは逆効果だという意見や記事をよく見かけますよね。

試しにネット検索してみるとわんさか出てきます。

でもそれ本当なのかな。

くーちゃん

どこのフィクションやねん!

それらの記事はたしかにそれっぽく書かれてはいるけど、前提条件が不明で自分のことにそのまま当てはめるのは危険だと思っています。

全国民からとった統計ではないだろうし、比較対象が同等じゃなければ得られた数字なんて信用できるもんじゃあありません。

「同じくらい勉強が好きな子同士」や、「同じくらいの成績の子同士」「もしくは本人のビフォーアフター」の比較じゃないと信頼できるデータとは言わないですよね。

まぁ、そんな比較は実際不可能なんでしょうけども^^:

僕の意見は・・・

大前提として書いておくと、僕の意見は

「勉強しなさいは逆効果」

です。

でも、逆効果だからといって言わなくなるともっと勉強しなくなる可能性もあるので、そのへんが難しいとは思っています。

数多くある記事を否定するつもりはありませんが、根拠のあるデータを示してある記事も少なく、あったとしても何か情報がたりないピンボケしたものだと感じ、なんだかもやっとします。

仕方ないことなのですが、記事はあくまでも一般論であり、個々の親が持つ悩みは具体論なんですよね。

つまり、

くーちゃん

うちの子にはどうすりゃあいいのよ!?

てことですよね。

答えなんてありません!

それぞれの家庭で、親子の関係も、学力も、おかれた環境も何もかもが違うので一般論では解決しないと思います。

ぶっちゃけわが家も解決していないので(笑)

(まぁいろいろ検証中ではありますが、それで結果がでるのかどうか・・・)

記事について僕がもやっとする部分

どのデータもそれなりに統計は取っているものの状況が限定的です。

その限定的なインプットデータを一般論としてアウトプットするのが無理があると感じています。

「都内・県内の保護者アンケート」とかよく見ますが、そこから得られる勉強時間などの数字ってどれだけ信頼性があるのか。

そもそも子供の時間を正確に測定・記録しているのか。

仮に測定・記録していたとして、そのような勉強熱心な親御さんだけからのデータで全体を語ってよいのか。

他の統計も似たり寄ったりで、記事によっては最初からある結論に誘導されているような気がするものまであります。

それらの統計の数字の大前提として以下の事実が隠されている可能性(意図して言及されていない)があるとして見た方が安全かも知れません。

  1. 「勉強しなさいと言わざるを得なかった状況」が隠されているかも知れません。例えば勉強が嫌いな子、あまり勉強が得意ではない子、勉強意外の事がしたい子など。
  2. 「勉強しなさいと言わなくてもよい状況」が隠されているかも知れません。勉強が嫌いでない子、ある程度の学力がある子、勉強の他にやることがない子、勉強で褒められたい子など。

①②の状況が同居するとは考えづらいので、統計結果からは勉強しなさいが逆効果とは言い切れないと思うのです。

他にももっと多くの情報が隠れているでしょう。

情報が圧倒的に足りないのです。

本件とは全く異なるある統計ですが、チョコレート消費量が多い国はノーベル賞受賞者が多いという統計があるそうです。

じゃあ、チョコレートをたくさん食べれば賢くなれると思いますか?

さすがに違いますよね。

本当のところは、

チョコレート消費量が多い ⇒ 比較的裕福な国である ⇒ 教育制度が整っている、教育をうけさせる余裕のある家庭が多い ⇒ノーベル賞受賞者が多い

ということのようです。

直接の要因は教育制度ですよね。

「勉強しなさい」は、はたして勉強量の直接要因としてあげてしまっていい項目なのかなぁ。

「勉強しなさい」をやめてみたら・・・?

このあるある問題、先輩夫婦のところでもそうだったみたい。

そこのお子様は成績は普通くらいだけど、もっと頑張って欲しくて「勉強しなさい」って言い続けていたんですって。

ある時勉強しなさいが逆効果だという記事を見て言うのをやめたらしいんですけど、

案の定さらに勉強しなくなった!

と言っていました^^;

記事書いてる人は他人事や!って怒ってました(笑)

今では笑い話なんですが、当たり前の結果になったよねーって話しています。

自分が子供だったら?

まぁ当たり前ですよね。

子供の立場になって考えてみれば、やりたいことは沢山あり、勉強以外にもやらなきゃならないことも沢山ある。

けれど1日は24時間しかなく、さらに体は一つしかなく、その中でどれだけの時間を勉強に割けるでしょうか。

割けたとして、どれだけの気持ちで勉強にのぞめるか。

自分が子供だったら無理ですね(笑)

遊びたい、恋愛したい、青春したいです!(笑)

完全に個人の主観ですが、勉強やらなくていいならやりたくない子がほとんどでしょう。

ごく一部の例外を除いて。

例えば特定の勉強が大好き。

成績普通なのに数学だけ異様に出来る子とかいませんでした?

それとか生き物が大好きな魚くんみたいなタイプ。

また違う例外としては成績上位層で、その頭の良さが自分のアイデンティティになってるパターン。

褒めら認められるとうれしいよね、承認欲求満たされまくり。

平均点とか平均ちょい上くらいの子(一番人口の多い一般的な層)なら、テストでわからないところもいっぱいあるはずです。

わからない部分を克服するって相当な苦行です。

出来るはずがない。(たぶん本音)

苦労に立ち向かうより青春したい!(たぶん本音)

頑張りたいとは思うけど、ついつい後回しになってしまう。(たぶん本音)

でも成績良くなってほしいから親としてはがみがみ言っちゃう。

で、余計に嫌いになるってパターンは多そうですよね。

この問題って結論でませんね

どれだけ悩んでみても結論は出ませんね。

偉い先生方は一般論しか言わないし、うちの子を見て分析してほしいくらいです(笑)

そうこう言っているうちに学生の時代は終わっちゃうんだろうなぁ。

悩みながら見守っていくしか出来ないと最近はほぼあきらめムードですが、それでも少しは考えてしまいます。

なんで勉強して欲しいんだろう?

ふと大前提を考えてみました。

なんで勉強して欲しいんでしょう。

結論は出ていませんが、書き連ねていきます。

いい学校?

いい中学いい高校いい大学に入って欲しいから?

その方が将来が安定しそう?

なんとなくそう思うけど、別に学校だけが全てじゃない。

でも、やっぱりいい学校のほうが親としては安心感がある。

いつまで勉強の面倒をみる?

理想を言えば「勉強しなさい」って言わなくても自発的に勉強して欲しい。

でも、今言わなくなったら間違いなく勉強しなくなりそう(笑)

じゃあいつまで親が勉強の面倒をみるつもり?直接教えたり、勉強を促したり。

小学校卒業まで?中学校卒業まで?高校大学その先もずっと?もしくは反抗期が来るまで?

どこかでうちの子にやる気スイッチはいってくれないかなぁ(笑)

子供にどんな勉強を望む?

望校に何とか滑り込めばあとは惰性でもいいから卒業すればOK?

それかそこでも良い成績を残して欲しい?

また、いつまで勉強をしてほしい?

志望校に入るまで?高校や大学を卒業するまで?大学院?社会人になっても?

そもそも勉強とは・・・?^^;

机に向かうものだけじゃなくて他にもたくさん学んで欲しいし、考えだすと複雑すぎて頭ぐちゃぐちゃ。

もう自然に任せていいんじゃね?という悪魔の囁きとの闘い。

子供の人生

勉強しなさいとは、つまり勉強を強制でやらせることになるのかも知れない。

一時期集中して勉強をやらせる(強制)ことができても、自分で考えて勉強する力が育たなかったらどこかで学習がストップしてしまうかも。

そこそこのレベルの志望校に入るだけなら強制でいいかもだけど、それ以上を狙ったりすると自発性がないとどうしようもない。

子供の人生は子供のもの。

親のものじゃないから、どこかのタイミングで自分の行動の結果を自分で受け止めてもらわなきゃいけないなぁとか考えます。

はたしてそれはいつになるのだろうか・・・

「勉強しなさい」は補助輪

自転車に乗るということに例えると、「勉強しなさい」って言われるのは補助輪ありの状態だと思います。

自分の力でまだ勉強ができないという状況、補助輪がないとすぐこけてしまう。

勉強が自転車と同じだとすれば、こけて泣いたとしても、早い段階で補助輪を外してあげないといつまで経っても自転車は乗りこなせないようにならないんじゃないか。

勉強についても同じことが言えるんじゃないか。

最近はそう考えるようにしています。

補助輪だったら小学生か中学生前半で外してあげたいなぁ。

しょーちゃん

うちの状況ですが、長男は不安定ながらも補助輪を外した状態です。

あまり言ってはいけませんが、まだ中学生なので早い段階でこけてしまったほうが将来的にはいいような気がしてます(笑)

もちろん大けがしないように最大限フォローしてますが。

次男は絶賛補助輪中です。

こちらも様子をみながら補助輪は外したいです。

必要なことは自分の力で勉強できるような大人になってもらいたいのです!